高校生が持つべき「自身を律する気持ちや謙虚さ」

中学3年生にもなれば多く生徒たちは高校受験を前にしっかり勉強しますし、中には我々講師らが感心するほどに勉強に取り組む生徒たちもいるものです。

しかし高校生になると、その勉強を通しての自身の練磨をほぼ捨ててしまう生徒も決して少なくありません。

我々はこの現象を、能力というよりも「自分を律する気持ちがあるか否か」「前向きで謙虚であれるかどうか」という意識面が大きく関わっているのではないかと考えています。


やるべきことから逃げない

高校生になると試験前以外はほとんど勉強しなくなる生徒が多くなる原因は、1つには世界が広がり楽しいことが増えてくるからでしょう。

中学生ならば葛飾区を出て遊びに行くことはめったにないでしょうが、高校生ともなれば人気のある遠くの遊び場まで足を伸ばすこともあるでしょうし、交友関係も大きく広がります。
だからこそ、強制されている感のある面白くもない勉強が疎かになるのかもしれません。

しかし一方、自分を律することを知っている生徒ですと、時に羽目を外したとしても学生の本分は勉強であることを理解していますから、そこから大きく逸脱することがないわけです。
つまり、「やるべきことを忘れず逃げない」ということですね。

そしてその気持ちがあれば、ベネッセ模試の結果についての面談にて、生徒にとって耳に痛いことを我々が話したとしてもそれを聞き入れ、日々の勉強の改善に繋げられるはずです。

※高校では高1のときから中3でのV模擬のような模試がありその一つがベネッセ模試です
※エマールではベネッセ模試にて出来なかった問題をやり直すとともに、なぜ出来なかったのか・今までの勉強の問題点は何かなどを分析し、個々の生徒の勉強に対する反省・あるいは具体的な勉強法の提案をしています


誰でもよくない結果からは離れたい気持ちになるでしょうが、定期試験あるいはベネッセの結果に対して、良くなかったときにこそそこから建設的に物事が考えられるかどうかが、本人の成長に欠かせないことは間違いないはずです。

(極端な例ですと、高校生であっても小学生と同じように『今回は結構良かった!』とか『今回は全然駄目だった!』とかで終わらせている生徒も少なくないものです)


高校生が持つべき「自身を律する気持ちや謙虚さ」

この点について、記憶に残る生徒の中にある実に対照的な少年たち(仮にA君・B君とします)がいました。

彼らはともに数学のセンスはあった方で、中3のときの学力はほぼ同じで得意でした(ちなみに2人の進学した高校も、ほぼ同じ学力レベル)。

ただ、B君は中3卒業とともに退塾したのですが、高1の2学期の中間考査では得意の数学(数Ⅰ・数A)でさえボロボロになり、10月頃さすがにまずいと思ったのかまたエマール高校部に戻ってきました。

B君も理解力はあるために、やるべきことを2ヶ月弱キチンとやったら学校での定期試験はなんと80点台までの急進(高校数学は中学の内容と比べて格段に難しいですし、学年の平均点もそう高くないものなのでこの点数は大したものです。その才は依然確かなものであったということでしょう)。

しかし、半年もすると欠席がちになり、やがてよくわからない言い訳をして辞めていきました(ベネッセの結果についての話し合いも不機嫌な顔をしながら「聞きたくもない」といった様子でしたし、実際聞いてはいなかったでしょう)。


一方、A君は高校ではバスケット部のキャプテンでもあったために、時には一日に4~5時間しか寝ずに文武両道で自分を律しながら安定して勉強に取り組み、試合が近くどうしても出席できない日は、別の日に来て補いやるべきことをやったものです。また彼は英語が苦手でもあったのですが、ベネッセなどの結果を踏まえてのこちら側の勉強法の提案にも素直に向き合い、苦手を克服していきました(前向きで謙虚ということです)。

当面の彼らの目標であったはずの大学合格の結果でもA君とB君は大きな差が出ました。A君は芝浦工業大学合格でしたが、B君は噂では随分を不本意な結果だったらしいです。


実はこのような極端な形ではないにせよ、似たような事例は山程あります。
言いたいことは、教科的な能力差うんぬんというよりも、気持ちあるいは考え方の違いであり、「自分を律し、謙虚である」という姿勢があるかどうかがその違いの本質であると我々は考えています。