長く塾の講師をしていると、どうも国語を軽んじている保護者様あるいは子どもたちが少なくないような気がします。
それはひょっとしたら日常生活において、日々使っている日本語で意思疎通ができているから十分だと思っているからかもしれません。
しかし中学生ともなればやはり狭い生活圏での日常生活だけでなく、社会で起きていることの子どもたちなりの関心や知識、あるいは芸術・読書などの知的活動にどれだけ関わっていて感性や認識を深めているのかということが問題になってきます。
さらには学校あるいは塾で漢字を含めた語彙を増やしたり、あるいは経験や読み取り問題を通して様々なことを考えてきているかどうかが総合力としての国語力の学力の違いを生んでくると我々は考えています。
国語は全ての教科の基礎
算数・数学と違って国語の論理は白と黒ではなく灰色なものですが、特に論説文などは一つ一つの文の意味だけではなく筆者の言いたいことを読み取る、言うなれば「つなげて読む(文章全体のメッセージを頭の中でつなげるということ)」演習が必要になってきます。
これは訓練しなければなかなかできるものではありません。
一つは精読(=細かいところまで注意して読むこと)と呼ばれる読み方であり学校や塾で読む方法となります。
また、国語の読み取りのテーマとして、文学的文章であれば「自分も含めて、他人や心の風景を見える」かどうか、あるいは論説文であれば中学生ともなれば異文化・芸術・科学技術・環境問題・哲学などにまで話題が広がりますし、論説文はそれなりの予備知識が全くないと読み取ることは難しいでしょう。
つまり様々なことがらに対してどれだけ認識があるのか、考えてきているかが国語力の背景にあるわけです。その意味で国語は総合力であり、他教科にも影響を及ぼす割合が大きい教科と言えます。
そもそも思考と言葉は深くつながっており、語彙が増えればその分だけ人の感覚が豊かになることを意味するものです。ものを考えるためには、他にも数的思考や右脳的思考(=感覚的思考あるいは言葉では説明がつかない領域)もありますが、多くは言葉を通して考えるはずです。語彙を増やすことによって考えるためのツール(武器)が増えるわけです。
我々はいつも、口をそろえて国語の教科の重要性を話させていただいています。
読み取りに関しては、他教科の一部と違って即効性(勉強した分だけすぐに点数に繋がるような効果)はないかもしれませんが、じわじわとその力が積もっていくものであり、その少しずつ身に付いた学力は気がつけば大きな実力になるものなのです。
タイトルは「いちばん重要な教科」としましたが、すべての教科の基礎あるいは多くの知的活動は言葉を通してなされるという意味であえてそうさせてもらいました。